私は葬儀社で15年間ディレクターとして勤務してきましたが、その中で常に感じていたのは、お客様に提供するサービスの多くが「システム化された無駄」であるという矛盾でした。葬儀業界は、消費者が情報の非対称性に置かれていることを利用して、不要なサービスをセット料金という形でパッケージ化し、高利益を得てきた歴史があります。たとえば、15万円もする高級な布張りの棺と、3万円の合板製の棺。火葬してしまえば同じ炭になるにもかかわらず、多くの遺族が「お父様が可哀想ですから」という営業トークに押され、高額な方を選びます。また、祭壇についても、生花をふんだんに使った100万円の豪華なものは、葬儀が終われば数時間で廃棄物となります。これは環境負荷の観点からも、経済的な観点からも、現代の感覚では極めて大きな無駄と言わざるを得ません。私たちがお客様に提案してきたのは、故人のためという名目を借りた「遺族の罪悪感への課金」だったのではないかと、自問自答する日々でした。特に飲食接待費は、参列者の人数を多めに見積もるため、大量の売れ残りや廃棄を生みます。これらすべての無駄を削減するためには、業界の透明化と消費者の意識改革が不可欠です。最近では、IT技術を活用して不透明な追加料金を排除したプラットフォームサービスが登場し、必要なものだけをアラカルトで選べる仕組みが整いつつあります。たとえば、搬送と火葬の手配だけをネットで予約し、祭壇や花は自分たちで準備する、あるいはデジタル遺影を活用して紙の遺影や写真を減らすといった工夫です。また、宗教者の派遣についても、お布施の定額化が進んでおり、不透明な現金の授受に伴う無駄なストレスが解消されつつあります。現場で働く人間として言えるのは、本当の意味で良い葬儀とは、お金をかけた葬儀ではなく「準備に心を割いた葬儀」であるということです。故人の好きだった食べ物を持ち寄り、自宅で数人の親族だけで送る。そこには、私たちが提供する高価な祭壇よりも遥かに深い愛情と、一円の無駄もない純粋な弔いがあります。業界もまた、モノを売るビジネスから、遺族の心を支えるケアビジネスへと転換すべき時期に来ています。不要なものを削ぎ落とし、遺族が真に必要としているグリーフケア(悲嘆のケア)にリソースを集中させることで、葬儀という儀式は再び尊厳を取り戻すことができるはずです。無駄な豪華さを競う時代は終わりました。これからは、個人の尊厳を守りつつ、残された人々が経済的な破綻をきたすことなく、穏やかに故人を送り出せる社会を構築していく責任が、私たちプロフェッショナルには課せられているのです。