祖母が亡くなり、通夜、告別式と、涙に暮れる日々が続きました。しかし、私にとって本当の意味で祖母の「死」と向き合うことになったのは、火葬を終え、収骨室で白くなった祖母の骨と対面した瞬間でした。それまで、棺の中で眠る祖母の顔は、ただ眠っているだけのように見え、どこか現実感がありませんでした。しかし、火葬炉から出てきた台の上に整えられたご遺骨は、紛れもなく、生命が燃え尽きた後の「物質」としての存在でした。そこには、もうあの優しい笑顔も、温かい手のぬくもりもありません。その光景を目の当たりにした時、私は初めて、祖母という人間がこの世から完全にいなくなってしまったのだという、抗いようのない事実を突きつけられたのです。係員の方の説明に従い、父と二人で一対の箸を持ち、祖母の足の骨を拾い上げました。思ったよりもずっしりと重く、硬い感触。これが、いつも私を抱きしめてくれた祖母の体を支えていた骨なのだと思うと、不思議な気持ちになりました。腰の骨、腕の骨、そして小さくなった頭蓋骨。一つ一つの骨を拾い、骨壷に納めていくうちに、私の心の中にあったのは、悲しみだけではありませんでした。生前、小柄で華奢だった祖母。しかし、その小さな体を最後まで支え続けた骨は、こんなにも力強く、しっかりとした形を残している。その事実に、私は人間の生命のたくましさ、そしてその存在の確かな輪郭を見たような気がしました。肉体は滅びても、その人が確かにこの世に存在したという証は、こうして形として残るのだと。骨を拾うという行為は、私にとって、祖母の死をただ悲しむだけでなく、祖母の「生」そのものを肯定し、感謝するための、静かで荘厳な儀式となりました。あの白い骨の感触は、今でも私の手に、そして心に、生命の尊さの記憶として、はっきりと刻まれています。