父の葬儀からあっという間に一ヶ月半が過ぎ、四十九日法要の日がやってきました。喪主として二度目の大役でしたが、葬儀の時とは異なり、参列者は親族のみ。少しだけ心に余裕を持って臨めるはずでした。しかし、法要が始まる前、私は叔父からそっと呼び止められました。叔父は少し言いにくそうに、「お前のところは大変だろうから、親戚一同からの香典はこれでまとめて、香典返しは気にしなくていいからな」と言って、一つの大きな香典袋を私に手渡したのです。その袋には「〇〇家親戚一同」と書かれていました。父を亡くしたばかりの私達家族を気遣ってくれた、親族の温かい心遣いでした。その気持ちは本当にありがたく、涙が出そうになりました。しかし、法要が終わり、後日その香典袋を開けて、私は少し困惑してしまいました。中には、誰がいくら包んでくれたのかという内訳が書かれた紙が入っていたのですが、金額がまちまちだったのです。本来であれば、いただいた金額に応じて香典返しの品を変えるのが丁寧な対応です。しかし、「香典返しは不要」という叔父の言葉があります。全員に同じ品物をお返しするべきか、それとも言葉に甘えて何もしないべきか。母と二人で随分と悩みました。結局、私たちは叔父の言葉に甘えさせていただくことに決め、その代わり、一人ひとりのお名前で、心のこもったお礼状を書き、近いうちに美味しいと評判の和菓子を持って、改めてご挨拶に伺うことにしました。この経験を通して、私は香典という慣習の難しさと、その奥にある人々の思いやりの深さを学びました。マニュアル通りの対応が常に正解とは限らない。相手の気持ちを汲み取り、どうすれば自分たちの感謝が最も伝わるかを考えること。それが、人と人との繋がりを大切にする上で、何よりも重要なのだと、父が繋いでくれた親族の輪の中で、改めて教えられた気がします。
私の四十九日法要、香典で学んだこと